Rovescalli Azzo Paolo
Italy / Milano

1880年2月5日クレモナ生まれ。

幼い頃からヴァイオリンを父親の勧めで始めます。

州の法的な代理権を持っていた父親に助けられながら、ミラノのコレクターのオフィスで店員としての仕事を見つけます。

そこでレアンドロ・ビジャッキ(Leandro Bisiach 1864-1945)に出会い、レアンドロの工房に足繁く通うようになり、アントニアッツィ兄弟(Romeo Antoniazzi 1862-1925/ Riccardo Antoniazzi 1853-1912)とも知り合います。

そこでヴァイオリン製作の初歩を覚えるやいなや、すぐに仕事を辞めて、ヴァイオリン製作に専念するようになります。

その後コルソ・モンフォルテ(Corso Monforte)で独立。

その間にミラノ音楽院にも通い、国内外の様々な劇場で演奏を行えるほどヴァイオリンの腕を上げていました。

しかし、その突飛な生活は荒れ果ててしまい、その結果が楽器の製作にも影響を及ぼし、居を転々とした後、1940年12月7日に悲惨な状態で亡くなりました。

アッゾには5人の子供がいて、うちマンリオ(Manlio Rovescalli 1904-1945)と、トゥリオ(Tullio Rovescalli 1906-1974)の2人がヴァイオリン製作者になりました。

アッゾのスタイルは明らかにアントニアッツィ兄弟のスタイルを反映しており、時によってはロメオ・アントニアッツィとしてまかり通っていました。

初期は美しい質感の黄色がかった琥珀色のニスを使用しています。後期のニスはそれよりも柔軟性が無く、赤褐色になりがちです。

また、彫刻を施したスクロールもいくつか製作し、ラベル以外にイニシャルの「AR」をボタンやエンドピンの側に焼印を押している事もあります。

引用《 Liuteria Italiana II 》

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