Bisiach Leandro(I)
Italy / Milano

1864年 カザーレ・モンフェッラート(伊)に生まれる。

モダン・イタリアンの中でも高い評価を得ているヴァイオリン製作家。
1886年にミラノでアントニアッツィ兄弟(Riccardo Antoniazzi 1853-1912/Romeo Antoniazzi 1862-1925)に弦楽器職人としての技術を教わります。1890年には自身の工房をミラノに開きます。※レアンドロは、ミラノ近郊で工房の場所を転々と移動させています。

1916年、サラチェーニ伯爵(Count Ghigi Saraceni)からの依頼で、ヴァイオリン製作工房を備えた楽器博物館を設立するために一時的にシエナに移り住みます。

 

1918年から1920年にかけてミラノに戻り、その後はミラノに定住しました。

1931年頃から徐々に息子達、ジャコモ(Giacomo Bisiach 1900-1995)、レアンドロJr.(Leandoro Jr. Bisiach 1904-1982)、アンドレア(Andrea Bisiach 1890-1967)に仕事を任せて彼はミラノでのビジネスを離れ、ヴェネゴノの別荘に工房を移して亡くなるまで楽器の取り扱いと修理を行いました。※次男のカルロ(Carlo Bisiach1892-1968)はフィレンツェで自身の地位を確立していました。

 

息子達だけでなく、ガエタノ・ズガラボット(Gaetano Sgarabotto 1878-1959)、
ジュゼッペ・オールナッティ(Giuseppe Ornati 1887-1963)、
フェルディナンド・ガリンベルティ(Ferdinando Garimberti 1894-1982)、
ジュゼッペ・ペドラッチーニ(Giuseppe Pedrazzini 1879-1957) などを多くの職人を雇入れ、育てました。

初期の作品はアントニアッツィの影響を強く受けていて、特にスクロールは独特でしたが、後にオールドイタリアンにも強い興味を抱いていたレアンドロは、陰影のあるニス(※「1704」と呼ばれるストラディヴァリのオリジナルのニスレシピなど)でオールドのレプリカを製作したり、多種多様なオールドイタリアンのモデルを使用した新作楽器も製作していきました。
非常に多作の製作家であり、ミラノやシエナに彼の作ったカルテットのコレクションが残されています。
また、1895年のロンドン、1895/6のアトランタ、1898年のトリノ、1900年のパリ、1906年のミラノ、1910年のブリュッセルなど、キャリアの中で多くの受賞歴があります。

1946年(82歳) ヴェネゴノで亡くなる。

引用:≪ The Brompton’s Book of Violin and bow Maker ≫ / ≪ Liuteria Italiana 1860-1960 II ≫

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