Scarampella Stefano
Italy / Mantova

1843年3月17日、ブレシアのセントアレッサンドロで、趣味でヴァイオリン製作をしていたパオロの息子として生まれます。

兄のジュゼッペ・スカランペラ(Giuseppe Scarampella 1838-1902)はヴァイオリン製作家を名乗り、二ロコ・ビアンキ(Nicolo Bianchi 1796-1948)の弟子として有名で、主にフィレンツェで働きました。

ステファノは建具師として働きますが、ブレシア時代に父や兄を模倣して趣味でヴァイオリン作りを始めます。

1886年頃(43歳)には、すでに妻を失い幼い二人の子供をもつ寡夫となります。

彼は二人の子供を養うために、仕事を求めマントヴァに移住し、居住地を転々とします。その後も建具師として働き続けましたが、音楽の世界(息子はチェリストになりました)に触れ、空いた時間で再び楽器を作り始めます。

ステファノが正式にヴァイオリン製作家として働き始めるのは1890年(47歳)の事です。

初期は兄ジュゼッペの指導に従って楽器製作を行い、ジュゼッペが1902年に亡くなった後、道具や型枠、ニスのレシピを受け継ぐことになります。

それ以降、劇的で独創的な製作活動を1915年まで続けます。

ステファノはヴァイオリン製作家としては遅いスタートにもかかわらず多作で、入手可能なあらゆる材料を使って製作を行い、やや大雑把な見栄えでありながら、人々を引きつける魅力と音色を兼ね備えた楽器で、当時から人気を博しました。

そのため、無数のヴァイオリン製作家から真似されることとなり、それが後々「スカランペラ」の名前に混乱を生じさせる原因にもなります。

彼は特に古いマントヴァの製作者であるジュゼッペ・ダラーリオ(Giuseppe Dall’Aglio 1795-1840)とトマソ・バレストリエリ(Tommaso Balestrieri w.1725-1749)のモデル、または兄の使用していたガルネリモデルを好んで製作しました。

1919年、ステファノは唯一の弟子にガエタノ・ガッタ(Gaetano Gadda 1900-1956)を取ります。

1924年、病気で体調不良の続いたステファノは、ガエタノに支援されながら生活し、代わりに材料、道具、型枠などを死後に譲ることを契約します。

1925年1月23日、82歳で死去。

現在、スカランペラの楽器は演奏家、コレクターのどちらにも非常に人気があります。

引用《 Liuteria Italiana II 》

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