Ceruti Giovanni Battista
Italy / Cremona
1756年にセストクレモネーゼで生まれる。
ほぼ同時期には、カルロII・ベルゴンチィ(Carlo II Bergonzi)も生まれています。
ヴァイオリン愛好家であったサラブーエ伯爵の記述によれば、チェルーティはルイージ・マッギ伯爵(Luigi Maggi)の弟子であるとされています。
マッギ伯爵自身の楽器や仕事の痕跡は残っていませんが、チェルーティと何らかの繋がりがあった事がサラブーエ伯爵とマッギ伯爵とのやり取りで確認できます。
しかし、元々チェルーティは布生地を織る工夫として働いており、40歳近い年齢からヴァイオリン製作を始めています。
また、初期のチェルーティの楽器は、ベルゴンチィ兄弟(Nicola Bergonzi1754-1832 / Carlo(ll) Bergonzi 1757-1836)の強い影響を受けており、ベルゴンチィ兄弟からヴァイオリン製作の技術を学んだと考えられます。
12歳年上のロレンツォ・ストリオーニ(Lorenzo Storioni 1744-1816)との師弟関係も指摘されますが、1802年にストリオーニがクレモナを去った後に、結果的にストリオーニの仕事を引き継ぐ形になったと思われます。
その後、ストリオーニのスタイルも取り入れながら、息子のジュゼッペ(Giuseppe Antonio Ceruti 1785-1860)と共にクレモナでほぼ唯一のヴァイオリン職人として働きました。
様々な材料を使いましたが、通常は地元で調達された年輪や杢目の貧弱な材料を使っています。
一般的には、やや暗い色合いのニスが塗られ、楽器の出来栄えは雑な印象を受けますが、素晴らしい音色を持っています。
19世紀には衰退していたクレモナ派のヴァイオリン製作を、息子のジュゼッペから孫のエンリコ(Enrico Ceruti 1806-1883)、そしてガエタノ・アントニアッツィ(Gaetano Antoniazzi 1825-1897)へと繋いだ、後期クレモナ派の重要な人物です。
1817年(60歳) クレモナで死去。
引用
《 The Brompton’s Book of Violin and Bow Makers 》
《 The late Cremonese Violin makers 》