Genovese Riccardo
Italy / Torino
1883年 アスティ(Asti)の北の町、モンテリオ(Montiglio)で生まれます。
若い頃は、オルガニスト、ピアニスト、ヴァイオリニストとして教会やボールルームでオーケストラの演奏をしていました。
1920年頃から同じくモンティリオ生まれのファニョーラ(Annibale Fagnola 1865-1939)にヴァイオリン製作の指導を受け始めます。
ジェノベーゼとファニョーラはとても親密な友情で結ばれ、ファニョーラの二度目の結婚式では介添人として出席していました。
1922年以降、ジェノベーゼはプロのヴァイオリン製作家として活動を始めます。
初期の楽器はファニョーラから借りたプレッセンダモデルの型枠を使って製作を行いました。当初は未熟な部分が残りましたが、1925年以降は品質も大幅に改善して行きます。
1926年頃までに見習いを終えて、正式にファニョーラとの共同製作を開始します。ファニョーラは頻繁にモンティリオを訪れてジェノベーゼに仕事を依頼していました。
ジェノベーゼはファニョーラから委託された仕事をこなし、ファニョーラはジェノベーゼ自身が製作した楽器の販売を手助けしていました。
ジェノベーゼのヴァイオリンは、ほぼファニョーラのプレッセンダ・モデルで作られましたが、師と同じモデルを使いながらも、スクロールやF字孔のカッティングなど、ファニョーラとは一線を画す部分もありました。
ニスは一般的に赤味が強く、透明度と厚みは様々ですが、やや硬質で細かなひび割れが入っている物が多いです。
内部に直筆のサインを記している楽器もあります。
当然ながら、ファニョーラ・ラベルのついたジェノベーゼ作の楽器も存在しており、識別が非常に困難な場合もあります。
ジェノベーゼの短い人生では、師であるファニョーラの技術に到達することは叶いませんでしたが、彼の製作したピエモンテスタイルの楽器は現在高く評価されています。
1935年(52歳) 結核によりアスティの病院で死去。
引用《 Liuteria Italiana IV 》《 The Brompton’s Book of Violin and Bow Makers 》