Lamy Joseph Alfred
France

”LAMY Pere”として知られる巨匠です。
12歳でClaude Charles Nicolas HUSSONに弟子入り。弓製作を学びます。
当時のHUSSONの工房では、Charles Claude HUSSONやJoseph Arthur VIGNERON pereなども修業をしていました。
26歳の時にはFrancois Nicolas VOIRINのもと、アシスタントとして働き始めます。
師匠VOIRINと同じくVuillaumeの影響を受け、アシスタントとして働いていた9年の間に、師匠の作品と見分けが難しい程の実力を身に付けていきました。
35歳で自身の工房を構え独立。
39歳の頃には、後に20世紀を代表する弓製作者となるEugine SARTORYがアシスタントして出入りするようになります。
SARTORYの初期の作品には、LAMYの影響が強く見られます。
JOSEF ALFRED LAMYは19世紀後期から20世紀初期にかけて活躍したメーカーというだけでなく、VOIRINとSARTORYを繋ぐ重要な存在となっています。
また、彼の息子であるHippolyte Camille Lamy(1875-1942)やGeorges Leon Lamy(1881-1915)、甥にあたるAlfred Lamy(1886-1923)も弓製作者として活躍しました。
 
《参考文献》
「L’Archet」
B.MILLANT/J.F.RAFFIN著
 
写真の弓は1900年にフランス・パリで開催された国際博覧会にて出展された弓です。
金/べっ甲のフロッグが使用されており、オリジナルのままのベストコンディションの弓です。
またこの弓は、ニューヨークフィルなどでコンサートマスターを務めたロシアのバイオリニストRafael Druian(ラファエル ドルイアン)が使用していました。
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