Kantuscher Josef
Germany / Mittenwald

1923年にスロベニアの小さな町オクラ・ジリュトメール(Okraj Ljutomer)に生まれました。

6歳の頃には音楽学校でヴァイオリン演奏を学び始め、すぐに魅了された彼は14才で最初の楽器を製作します。

1941年に高校を修了した後、建築の研究を志しますが戦争の激化で断念します。

しかしドイツ帝国の強制労働からは運よく免れ、ミッテンバルドのヴァイオリン製作学校に入学しました。

戦時中の徴兵などを経て1945年にミッテンバルドに戻ります。

ライターヴァイオリンショップ(Reiter Violin Shop)にて10年ほど働いた後、1955年にミッテンバルドに自身の店を構えます。

1957年にベルギー・リエージュで開催されたコンペティションで金賞を受賞したことがきっかけで、世界的な飛躍を遂げていきます。

カントゥーシャは生涯に846台の弦楽器を製作し、独立後は製作楽器に番号を付け2013年に90歳で製作した#695のビオラが最後の楽器となりました。

その楽器製作の手法や構造的なアプローチ、外観と音色の最良の組み合わせを研究し続けたスタイルは唯一無二の存在です。

その活躍でミッテンバルドに再び世界の注目を集め「マティアス・クロッツの再来」と称され、ミッテンバルドのヴァイオリン博物館の館長などを歴任しました。

日本からも多くの製作家がカントゥーシャ氏のもとで修業をし、マイスターとなっていることでも有名です。

2015年10月6日(91歳) ミッテンバルドで死去。

引用《 The Brompton’s Book of Violin and Bow Makers 》《 The Strad Magazine 》《ヴァイオリンの銘器》

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