Maggini Giovanni Paolo
Italy / Brescia

1580年、イタリアのブレシア、ボッティチーノで生まれる。

1595年からガスパロ・ダ・サロ(Bertolotti Gasparo da Salo 1540-1609)の下でアシスタントとして働く。
1610年頃に、ポデスタの旧宮殿地区で独立して開業します。
1621年~1622年にサン・アガータ地区(San Agata)のボンベサリー(Bombaserie)に移り、ペストで亡くなるまで家族と共にそこで生活しました。

ヴァイオリン創成期の歴史において非常に重要な人物であり、1907年には記念碑がブレシアに建てられました。

マッジーニは師匠のガスパロ・ダ・サロよりも、はるかに多くのバイオリンを作りました。
また、やや小型のビオラ(コントラルト・ビオラ)を製作したことで、それまでのヴィオラの性能を最高峰にまで引き上げる事になりました。
チェロなど、他の楽器は非常に希少です。

彼は、時より非常に大きめでハイアーチのヴァイオリンも製作しました。
それは、やや粗っぽいものの巧みな作りであり、後にガルネリ・デル・ジェス(Bartolomeo Giuseppe Guarneri “del Gesu” 1698-1744)だけでなく、
アントニオ・ストラディヴァリ(Antonio Stradivari 1644-1737)が1690~1700年代に製作した「ロング・パターン」の楽器にも影響を与えていると考えられます。

頻繁にダブルパフリングを施した楽器を作り、しばしば裏板にはアラベスク模様のパフリングで装飾をしています。
F字孔は長く、上下の穴は同じサイズで空けられています。
初期のスクロールは粗雑でしたが、晩年に向かうにつれて、クレモナの緻密な作りに近づいていきました。
暗く日焼けしたニスは美しいゴールデンブラウンの色合いです。

マッジーニのラベルには年号が書かれていない為、作品の製作年代の大部分は推測でしかありません。
また、マッジーニ作と考えられている楽器の中には、材木の年輪年代学の調査で、彼の死後に製作された楽器も含まれている事が確認されています。
これは彼の死後、未確認の後継者によって楽器製作が引き継がれていた事を暗示しています。
彼のビオラはいつも音楽家に求められていましたが、19世紀後半には彼の大きくてダークトーンのバイオリンも人気が頂点に達していました。
マッジーニの作品は、独特のスタイルと多様な作品の特徴をしばしば模倣され、偽造されてきました。
また、ブレシアの伝統を受け継いだ製作者によって17世紀と18世紀に誠意を持って作られた数多くの楽器は、不道徳な商売人によってマッジーニのラベルに貼り変わっている場合もあります。

1632年(52歳)にブレシアで亡くなる。

《 The Brompton’s Book of Violin and Bow Makers 》より引用

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