Garimberti Ferdinando
Italy / Milano
1894年 パルマに生まれる。
1902年(8歳)に家族と共にミラノに移ります。ここで両親が始めた宿 “al trotter” の常連客がロメオ・アントニアッツィ(Romeo Antoniazzi 1862-1925)でした。
1910-11年頃からアントニアッツィ兄弟に弦楽器製作の手ほどきを受け、兄弟を介してレアンドロ・ビジャッキ(Leandro Bisiach 1864-1946)に出会い、仕事と道具を与えられます。
しかしこの期間は短く、1914年から1918年の間、兵役のためトリノに移ります。
終戦後トリノで結婚し、まったく違う職業に就いていたフェルディナンドをレアンドロがミラノに呼び戻します。
1920年にミラノに戻ってからは、ジュゼッペ・ペドラッチーニ(Giuseppe Pedrazzini 1879-1957)と共に仕事を始めますが、これがフェルディナンドの製作技術を更に高めることになります。
1927-39年までローマの大会で優勝、1932年にパドヴァ、1937年にクレモナで金メダルを獲得しています。
1931-1966年にはクレモナのヴァイオリン製作学校で教鞭をとり、若き日のジオ・バッタ・モラッシ(Gio Batta Morassi 1934-2018)やフランチェスコ・ビソロッティ(Francesco Bissolotti 1929-2019)を指導します。
1936年には、イタリアの文部省から勲章を授与されています。
彼は楽器のスタイルはほとんど変える事が無く、非常にエレガントであり、正確で緻密な楽器を製作しました。
とりわけストラディバリに独自のエッセンスを加えたモデルは、長年の同僚であるオールナッティ(Giuseppe Ornati 1887-1965)のモデルを連想させます。
一枚板の裏板を好み、ときおり内部に焼印を押してある楽器もあります。
1982年(88歳) ミラノで死去。
引用:《 The Brompton’s Book of Violin and bow Makers 》/《 Liuteria Italiana 1860-1960 II 》